【歴史100年】ブラジルの剣道 その2

こんにちは、カカドです。
今日はブラジルの剣道の歴史についてざっくり書いていこうと思います。このブログで何回も書いてきたように、ブラジルには200万人近い日系人がいます。1908年以降、日本からブラジルに移民をしてきた人たちの子孫です。その日系人がブラジルで守り続けてきた日本文化の一つが剣道です。今では1000人近い人がブラジル国内約50の道場で剣道の稽古に励んでいると言われています。ちなみに剣道世界大会などで、日本、韓国、アメリカに次いで上位入賞することもある強豪国。そんなブラジルの剣道ですが、どんな歴史を辿ってきたのか、少し書いてみます。

調べていてびっくりしたのが、剣道の歴史は日本からブラジルへの移民船内で始まったということ。1908年の最初の移民船「笠戸丸」で試合が行われました。もともと日本人はブラジルへ’出稼ぎ’のつもりで行っていたようで、だからこそ「ブラジル社会には入り込むか」というよりは、いかに日本から持ってきたものを守るかというところを重視していたようです。移民25周年の1933年には今のブラジル剣道連盟の元になる組織ができました。しかしその後、第二次世界大戦でブラジルと日本は敵対する関係になったことから、組織は一度解散されました。ちなみにこの頃日系人に対する弾圧の影響で、日本語教育など日系人としての文化を保つことが難しくなってしまいました

さて、第二次世界大戦後。戦争が終了して数年で剣道の活動は復活。一見順調に見えるものの、ブラジル日系人内で多くの殺人事件に発展した「勝ち負け抗争」が戦後にあり、剣道関係者の多くも巻き込まれていたよう。かなりデリケートな事件なので、別の回で書きますね。ちなみに映画もあるので、時間があったら見てみてください。ざっくりというと、「敗戦を認めない勝ち組」「敗戦を認める負け組」の間で起きた抗争です。

その後の剣道ですが、1950年代には日本から先生を呼んだり、1960~70年代に開催された剣道の国際大会に参加したりと、徐々に活動が盛んになりました。ちなみに、ブラジル国内で剣道が盛んな地域はサンパウロ。サンパウロはもともと日系人が多かったため、その結果多くの道場があります。ちなみに、ブラジルのアマゾン地域にも、サンバで有名なリオデジャネイロにも道場はありますよ。

その後も日本の剣道界との交流は続きます。今では日本の筑波大学や国士舘大学など、剣道強豪校の生徒がブラジルに剣道を教えにブラジルまでやってきたり、JICAを通して先生が派遣されたりと、ますます盛んになっています!ブラジルの剣道、こんな感じ。

おしまい。

おまけ


サンパウロにある日本移民資料館には、昔の家が再現されたコーナーが。時代は第二次世界大戦前ということもあり天皇の写真が飾られています。