授業中、1つの質問に対して10分ひとりで話し続けた生徒の話

こんにちは、カカドです。
今日はブラジル人がお喋りに見えるのはなぜかということについて書いていきます。ブラジルに初めて来た時にびっくりしたことの一つとして、「なぜかみんなの話が長く感じること」があります。友達、友達の家族、友達の友達、お店の人などなど、最低限の会話ではおさまらないことが多いです。それはポルトガル語を学ぶ立場として内容を理解するのは大変だったけど、ありがたかったです。

1つのびっくりした例として、留学時代の外国人向けポルトガル語の授業での話。中級クラスの授業だったので、文法や簡単な会話のみならず、先生は「これについてどう思う?」という自分の考え方を話させるような質問をたくさんしていました。あるペルー人の生徒に「これについてどう思う?」と先生が投げかけた時のこと。なんと彼は1人で10分間自分の考えを話し続けました。10分間って、もう講演レベル。すごいですよね。内容としては「僕はこう思う。というのはこうだからだ。でもね、この考えに至ったのはこういう経験があったんだ。その経験を詳しく話すとこんな感じ。僕が何歳の頃..」のように自分がそう考える理由。に繋がる根拠までも詳しく、詳しく話すのです。

この例はあくまでもペルー人の話ですが、ブラジル人の先生に「10分話を続けることにはびっくりしたよ〜」と言うと、「あー(笑)。まぁ、あるよね。」というような反応で、特別なこととは受け取っていない様子でした。

この話はペルー出身の人の話ですが、どうして、たくさん話をすることが許容されているのでしょうか?日本だと、「あの人はお喋りな人だよね」と言うのは良い側面だけを言っているわけでもない気がします。ブラジルではどうしてみんなおしゃべりに見えるのでしょう?

ローコンテキスト文化だから

他の記事「【ローコンテクスト文化】言わないと分からない」にも書いたように、ブラジルはローコンテクスト文化に当たります。ローコンテクスト文化を簡単に説明すると、コミュニケーションの際に言葉にされた内容が高い価値を持つこと文化、つまり「言ったことが全てな文化」です。もちろん、ダラダラ適当に話すではなく、論理的に説明することが求められますが、「言わないよりも全部言う」方がポルトガル語で話すときはいいと思います。

人と人との距離感が近い

先輩・上司と飲みに行く時と友達と飲みに行く時、どちらの方が気軽に話をすることができますか?友達と飲みに行く時の方が、気軽に話せて、またたくさん話せると思います。ブラジルのポルトガル語では、丁寧な話し方とそうでないカジュアルな話し方の違いはありますが、カジュアルな話し方をする機会の方が圧倒的に多いです。家族、友達、年上の人、お店の人、私からするとかなりカジュアルな話し方をしている=日本でいう友達と話しているような感覚です。それもあって、人との距離感が近く、結果話が長く感じるのかなと思います。

リアクションが大げさ。に見える

日本語で「この犬可愛くない?」と友達にインスタの動画を見せられたら「あー!めっちゃ可愛い!」とか「確かに〜。」みたいなリアクションになるかなー、と思います。
ブラジルだったらどうでしょう。特に女性なのですが、日本語に直訳すると「おー!これは世界で一番可愛いね。」とか「こんなに可愛いものは見たことがないわ。」とかいうリアクションを取ります。大げさに褒めたり、形容詞にさらにいろんなものがついてくるようなイメージです。

日本の「確かに〜。」と比べると文字数も内容の圧も全然違いますよね。こんな感じで、いろんなものにいろんな情報が載っけられる、結果話が長くなるというのが、私からみたブラジル人のポルトガル語のくせかなと思います。

おしまい。

おまけ


おしゃべりをする場所、と言えばカフェですね。カフェやレストランで友達と会って、カップやお皿が空になってもおしゃべりを続けます。それでも店員さんには白い目であまり見られないのはブラジルのいいところ。