こんにちは、カカです。
今日はブラジルの貧富の差について触れてみたいと思います。
日本にも貧富の差があると思いますが、正直日本にいた時はあまり実感として感じられませんでした。というのも、おそらく大抵の人はアルバイトか何かの仕事につくことができるし、働けなくても何かしらの補助で最低限の暮らしはできているんじゃないかなと思います。少なくとも自分の過ごしてきた地域で見る範囲ではあまり貧富の際に気がつくことはなかったです。
ブラジルではどうかというと、貧しい人とそうじゃない人、その差の大きさに驚きましたが、正直最近はそれが当たり前になってきました。例えば、街中ではホームレスの人がたくさんいます。バーやレストランにいると、「お金くれない?」とか「飲み物を買ってくれないか」とよく頼まれます。ジュースを飲みながら道を歩いていると「一口くれないか?」と言われたこともあります。道にあるゴミ袋を漁って何かお金になりそうなものはないか探す人をよく見ます。
これが日常になるとどうして?と改めて考えるのを忘れそうになりますが、改めて友達から「どうして貧富の差があるの?」「どうしてスラム街がたくさんあるの?」と質問をされたので、考えてみようと思います。
スラム街はブラジルでは「ファベーラ(Favela)」と言います。各地にありますが、リオデジャネイロやサンパウロなどの大都市で本当に多く見られます。所得の少ない人が住む地域で、公共の電気・水道のサービスなどがなかったり、下水処理がきちんとされていないようなところがほとんどのようです。
ブラジルに旅行に行くとなると、「リオデジャネイロはスラム街が1,000近くある」とか「麻薬密売組織の抗争が..」「殺人事件、強盗、流れ弾、薬物の売買が..」とか外務省のページに書いてあります。字面だけではびっくりしてしまいますよね。実際、スラム街を中心にこういった犯罪が起きているのは確かのようです。[貧しい→職を得られない→犯罪をする]というのは理解ができますよね。
ではなぜスラム街がこんなにもあるのか。諸々の要因はありますが、歴史の大きな流れとしてはこんな感じ。
1500年にポルトガル人のカブラルによって’発見’され、それ以降ポルトガルの植民地になる
→砂糖の産地となり、ヨーロッパへ輸出を始める
→労働力が足りないので、アフリカから黒人奴隷を連れてくる
→金・コーヒーなどの生産のためにたくさん黒人奴隷を連れてくる
→1888年奴隷制度が廃止される
→元奴隷の行き場がなくなる
→大都市(リオデジャネイロなど)へ元奴隷が職を求めて数多く移住
→スラム街(ファベーラ)が数多く形成される
ざっくりとこんな流れです。奴隷制度が廃止されたのが1888年。約130年前なので遠く感じるかもしれませんが、5代前の世代(ひいひいひいおじいちゃん)あたりは奴隷制度を知っているというかなりショッキングな話です。奴隷制度が廃止された時、リオデジャネイロには1人の白人に対して7人の元奴隷の黒人がいる、というような人口のバランスだったよう。それに加えて黒人への差別偏見があったので職が見つからず貧困のスパイラルが何世代後も途切れない、という感じです。
もちろんスラム街に住んでいるのがみんな黒人で、それ以外は白人でというわかりやすい区切りはないですが、貧困=黒人というのは今もあまり変わらないです。スラム街がなぜあるのか、ざっくりとこんな感じ。ブラジルは陽気な国!というイメージですが、歴史の面から見ると悲しい部分も他の国と同様たくさんあります。また書いていきますね。
おしまい。
おまけ